SNSは公共的な個人メディアだ。

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SNSはもはやインフラになっている

SNSの利用者は年々増加の一途を辿っている。私と同年代の20代では、何かしらのSNSをまったく利用していないという人を探すほうが難しいほどだ。

ICT総研がまとめた県内の16年度の国内SNS利用者数は6827万人。このまま普及が進めば2018年末には利用者数は7486万人、ネットユーザー全体に占める利用率は74.7%に達すると予測している。(出典:2016年度 SNS利用動向に関する調査 ー ICT総研

総務省の平成28年版情報通信白書によると同年のFacebookの利用率が35.3%、Twitterの利用率が28.7%となっている。Facebookは3人に1人、Twitterは4人に1人が利用している計算だ。

年代別にもその差は大きく見られ、20代から30代の若年層で全体の平均を超えている。

調査対象者となっていない10代でも高校生を中心にTwitterやinstagramの利用率がさらに高い可能性もある。

このように、SNSの利用者は非常に多く、マーケティングでも効果を発揮しており、非常に公共性の高いツールとなっている。個人間での情報の発信・共有だけにとどまらない利用方で、情報化社会のインフラと言っても過言ではないだろう。

個人の情報発信は”私的”なものにとどまらない。

そもそも、インターネットが普及し始めた頃から、個人で情報を発信するハードルがさがっていた。そして、掲示板(BBS)やブログなどのサービスが増え、さらに情報発信ができるようになり、今ではSNSでリアルタイムに情報発信できるようになったのだ。

当初は私的な思想や、出来事を伝えていく人が多かった。日記サービスやプロフィールサービスなど個人を発信するサービスも人気があった。匿名の実在する誰かの文章を読み、そして誰しもが匿名の誰かを演じていた。そこには現実でなし得ない理想をインターネットという虚構の上で実現しようとする、一種の夢があった。

しかし、インターネットは普及すると共に、虚構の存在から、現実の延長線上に位置すようになり、気づけば現実の一部になっている。より幅広い人間の目に触れるようになり、情報発信の手段としてもより簡略化されている。今やインターネットで情報を発信するのにHTML(WEBプログラミングの言語)の知識も、ネットワークの知識も必要ないし、パソコンの前に座る必要さえない。

気軽に文字を打って、移動時間中や待ち時間に簡単にアウトプットできる。だからこそ、SNS上には洗練されていない有象無象の情報が大量に流れ出ている。専門家でなくとも、さも真実であり、一般論であるかのように発信できるのだ。あくまでそれが”私的”な発言で、友人らと雑談している感覚のものでも、不特定多数の目に触れ、内容によっては拡散され影響力を持つことも十分にありえる。そうすると一個人として発信したものが大勢の目に触れる”公的”なものとなる。発言した本人の意思に関係なく、投稿を読んだ利用者は”インターネット上に公開されている情報”として認識するのだ。企業や団体、行政などの組織が発信したものであろうと、個人が発信したものであろうと、受け手からすると関係ないのだ。

だから、あくまで私的な個人の発言にも、見ず知らずの相手が「不謹慎だ」「それは間違っている」と批判を生む。そこに情報リテラシーの希薄さも相まって、”炎上”に発展する。

つまり、日常のできごとや、なんとなく感じたことを発信するだけで、本人の意思と関係なく”公的な情報”に転じてしまう可能性があるのだ。

SNS利用者はこれを理解する必要がある。

SNSで”公”を理解するメリット

SNSを利用する上で公を意識する必要は今後ますます増すだろう。

Facebookの利用者が減っているという人も多いし、事実数字の上では減少しているが、それは「本来Facebookが必要ではない人」が少しずつ利用をやめ、本来必要とされる層に落ち着いてきたのだと感じる。

Facebookは実名登録であるため、その公共性は非常に高い。あくまで感覚的な話ではあるが、以前と比較して友人や恋人、家族との出来事を投稿するいわゆる”リア充アピール”が減少し、仕事やプロジェクト、イベントに関する話、時事的な投稿が増えた印象がある。

個人が関わる公的な要素に関する情報で、個人発信のプレスリリースのような情報だ。

Twitterでも公共性を意識する必要がある

例えばTwitterでは、Facebookの比較すると公共性が薄いと思われている。しかし、Twitterもまた虚構の存在ではなく、現実の一部だ。現実で起きたこと、感じたことをリアルタイムでも字にして、風景や出来事を写真に切り取り公開する。そして投稿者の意図に関係なく拡散されるのだ。果たして、それを見た他の利用者がそれをどこまで私的なものとして認識しているだろうか。

Twitterでは、複数アカウントを所有している利用者も多い。友人との交流用や、趣味専用、フォローだけして他人のツイートを読む専用、さまざまな用途で使い分けられている。そして、私的なアカウントは「鍵付きアカウント」に設定して、フォロワーからしかツイートが見れないような設定にしている。そうすることで、一定の私的性を守っている。つまり、無意識のうちに公私の区別をしているということだ。

個人アカウントでも、話題のお店にいったことをツイートするとお店のアカウントからリツイートされ意図せず不特定多数の目に触れることがある。「勝手にリツイートするな!」と起こる人もいるかもしれないが、SNSの特性としてリツートやフォローはする側に有利なもので、それが出来るサービスとして提供しているので、権利ばかりを主張することはできない。それが嫌であれば鍵付きとして完全に閉ざしてしまうしかない。

逆に、公的なものであると理解さえしてしまえば、自身の発信したい情報を自分の意思で求める層に発信する手段になりうる。SNSでは公私の線引きは非常に難しい。故にそこに対する友好的な利用をしていくべきだ。

SNSは個人メディアだ

SNSはすでに個人間のコミュニケーションに収まるものではなくなっている。

最近では、商品やサービスの口コミや情報などを集めようと思った際、Googleなどの検索エンジンで求めるものを見つけ出すことが難しい。SEO(検索エンジン最適化)対策が進み、ビジネスライクな情報が検索結果上位に表示されるからだ。

個人が利用した感想や、主観的な意見を探そうと思うと骨が折れる。その為、SNS上で情報を探すことが増えている。企業のエゴサーチ(自分自身に触れている情報を検索すること)も、SNSで行うことが主流になっている。

つまり、何気なく書いた一言が何らかの情報源や参考元になる可能性が非常に高いのだ。

飲食店ひとつとっても、ひとりの人間が「美味しい」と書くか「まずい」と書くかで大きく影響する。下手をすると公式サイトに掲載されている情報より「信頼できるもの」と捉えられることもあるのだ。

つまり、個人が発信する情報も、読み手の捉え方次第で公のものになってしまうのだ。SNSはそのプラットフォーム自体が生の声を発信する個人メディアとなっているのだ。

誰だって公人なのだ

今後も、SNSの公共性は高まっていくだろう。もちろん、個人的な発言をするなとか、くだらない話は控えろとか、役立つ情報だけ発信しろとか、そういう上から目線の指摘をするつもりはない。

ただし、私たちはインターネットを経由して見られることの方が多いのだと理解したほうが良い。

実際にFacebookの友達やTwitterのフォローを見渡すと実際に会って話すより、SNS上で交流する人の方が多い。実際会うほうが多い人など、毎日顔を合わせる会社の同僚を除けば1桁もいないだろう。下手をすれば1度会ったきりの人や、会ったことさえない人もいる。つまり、他人からしてみるとSNS上の自分の印象の方が強く残るのだ。

人の目に触れる場所で何かを発信する以上、誰しもが公人として、公共性を意識しなければならない。

インターネットの可能性が広がれば広がるほど、個人と社会の関連性も高まっていくのだ。

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